自分を自分で見尽くすことは出来ない。

最近、自分を考える事に加速度がついている。しかし、
恐らくどこまで行っても、自分を見尽くすにはは至らない。
自分以外のことなどは何処まで行っても完全な理解など在りえない。しかし、

何かを理解したいというのが、存在するものが持つ根本的な要求のような気がする。

ではどうしようかと言えば、
周囲に問い、周囲に答えてもらうしかない。
又は周囲の問いかけを聴き、周囲に答えるしかない。

そうして、お互いでお互いを埋め合わせる事しかない。

生物同士、無生物同士、生物対無生物。
お互いを埋め合わせる努力以外に、何もない。

お互いを埋め合わせるのに言葉では足りない。
見つめ合っただけで解るものは、遥かに多い。そうするしかない。

ゴルフという孤独なスポーツがあるが、
ホールインワンを超えるものとして、アルバトロスがある。
偶然×偶然では、少し足りない。
努力×偶然、或いは偶然×努力、
さぁ、そこに何かを足してみたい。

恩恵と、感謝。

無心に努力するものに対するある種の答え。

それはあると言ってしまうと、
僕は宗教家になってしまうかもしれないのだけど。