愛するものに愛されたい。

なんと我儘自分勝手な考え。まぁ、そうなのかもしれない。

愛することは簡単だ。だいいち俺は惚れっぽいから。
ちょっとした出会いにより、呆気なくのめり込みの世界へ移行し、
惚れが抜けて忘れ去ることもあるが、そうでなければ愛が残る。

愛されることも、意外と簡単なのではないか。
自分に何の意図もなく、自分以外の何かに愛されているということはあるのではないか。
俺が自分勝手に何かを愛してしまうように。
そうでなければ、例えばストーカーのようなものが生まれるはずがない。
時によりというか、
愛することと愛されることを別にして考えると、
殆どの場合は相手にとって迷惑なのだろう。

問題は、愛するものに愛されたいという願いである。
二重螺旋を描くように。ピッタリと。愛するものに愛されたい。

ロマンティックに言えば、それこそ生きる目的だ。

そんな愛に出会ったためしがない。
関係の殆どは、
薄ぼんやりとした、相互を一定の範囲内で許し合う関係のみ。
それだけで精一杯だ。

俺の願いとはちょっと違う。

俺はギターを愛していると断言するけど、
ギターから愛されていると言うにはほど遠い。
はい。わかってます。足りない。それは俺側の問題だ。

俺はギターに人生を捧げてはいない。そうすることは出来るのに。
生活というしがらみを捨てられないという、最も美しくない、醜い理由によって。
しがらみの中で生きている以上、俺の願いは何事も叶わない。

ブルースは、叶わぬ願いを唄う。