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小室直樹の中国原論

小室直樹の中国原論

☆「小室直樹の中国原論」
=国家は、国民個人個人の意思には関係なく国家としての意思を持つもので、
そこには個人の性格形成と同じ人間科学的理論が適用出来る。
国家生成時に受けたトラウマは、永遠に国家の性格に影響を与えつづけるものである。
個人が人間生成時に受けたトラウマと同じように。=
社会科学のキーポイントとはここだと、この本を読んでそう受け取った。

中国は、大変に長い歴史を持つ国家であることは、疑いようが無い。
栄枯盛衰の繰り返しも、有史以降のヨーロッパの歴史より古いかも知れない。
神代の時代のことは、全世界において、検証の仕様が無い。

中国では歴史を後世に残す為に、
多くの血を流しながらも時代時代の為政者の関与を排除してきた歴史官の努力があり、
それこそが世界に誇るべき歴史を持つ中国の国家精神の主柱となっている。

この本で語られるキーワードは、
中国世界に横に走る「幇会(パンフェ)」「情誼(チンイー)」
縦に走る「宗族」。
その理解の為の「三国志」等の中国歴史書

単なる個人として商売上の問題として、中国とその他の国の関係を考える場合は
そのキーワードを徹底して理解すれば済むのかも知れない。

しかし、国家間、即ち外交上の問題を考える場合、どうすればいいのか。

「予定説」を所与と考える聖書社会。
因果律」を所与と考える多くのアジア社会。
 更に、「歴史至上律」の中国社会。
「何も無い」日本社会。

日本と中国の二国間外交を考える場合、
日本の外交官の誰かが果断の努力によって中国外交官の誰かと「情誼」を結びえたとしても、
その間の基本ルールは「情誼内ルール」であって、
国家間のルールへと広がるきっかけとはならない。
情誼内ルールと、その他のルールは違うものであって、
優先されるのは「情誼内ルール」

恐らく、中国のトップの人が結んだ自国内の個人的な「情誼」内の総意として、
日本のトップの人に何らかの「話し合い」を認め、
初めて「情誼的な決め事を他人と話し合う気分」が出来上がり、
そこから本格的な話し合いを始める「他人との一時的な情誼」が出来上がり、
そうなって初めて国家間の話は始まるが、
中国トップの属する「情誼」対、別の「一時的な情誼」間の話し合いであって、
どちらにしろ国内の話合いに他ならない。

そのルールに則らない限り、いかなる「契約」も成り立たず、
しかも、いったん「情誼」内に取り込まれたとしたならば、
「契約」すら必要が無くなるという、複雑な社会なのだそうだ。

中国経済の実態は、誰にもわからない。
自国通貨取引を海外の銀行に認めておらず(国家的金融コントロールは不在)、
市場経済自体の存在が不完全であるにもかかわらず、
GDPとか、国際経常収支とか、
誰が、何をもとに計算しているのかわからない。
膨れ上がる国営企業の赤字総額は天文学的数字らしい。
まぁ、日本の国債が膨れ上がるのと、理由はあまりかわらないのかもしれない。
しかも、国民の購買欲求は猛烈に高まり続ける。

何が、何処に向かっているのか、誰にもわからない。

日本バッシングも、当分やむ事はなさそう。
国家がコントロールできるのだろうか?
万が一、総領事館などに被害が起こったら、
安全の為に閉鎖するしかないのかな。
邦人の安全確保を考えなければいけないのかな。

一緒にヨーロッパ列強に対抗していこうという考えは、無いのかな。

以上は、感想文であって、解説ではありませんので、ご注意下さい。
個人的な感想文です。

まぁ、読んで絶対に損は無い本だと、俺は思う。