El Ultimo Tremolo

弾き方の解説や楽譜ではないので、それを期待する方は素通りして下さい。

ついつい、色んなものに手を出してしまうのが、おいら的ギター弾き。

なのだけども、色んなもの弾いてみると、てか弾いてみないとわかんないね。

よく出来てんだよね、この曲もそうだけど、
トレモロね。
この奏法は、ギターだけだろう。やっぱり。

グッと盛り上がるように出来てるし、最後に収まるように出来てる。
弾きながら楽しいもんね。
ホントだよ、弾いてみたらいいよ。
トレモロ以外の曲でも、いっぱいというか無数にあるし、
自分で勝手に曲作って弾いても楽しい。

弾くほうの完成度は、あんまし関係ない。つっかえつっかえでOK。おいら的には。
完成度を求めないわけじゃない。必死に練習あるのみ。
追求の仕方は人それぞれだからね、ただ、ギターは比較的に手に取りやすい楽器だし。
弾いてみないと、絶対にわかんないよ。本当なんだ。必ず。
実際にやってみないと解らないものは、言い切っちゃうと絶対にある。

その気持ちは、
他の勉強でも、スポーツでも、人の行動のあらゆる出来事に応用出来ると思う。

やっちまえば、意外と簡単かもよ。

日露戦争と、たぬき。

いろんな話を大量に滅茶滅茶に仕入れてるので、
頭ン中がこんがらがっちゃてどこで仕入れた話なのか忘れちゃったんだけど、

日露戦争ね。

あの戦争は日本国としての最初の総力戦だったらしい。
日本人という人間だけではなく、まぁ、花鳥風月、土地建物、勿論神様まで動員されたと。

日本軍の司令部みたいなところに、白装束を着た、たぬきの集団が現れたのだそうだ。
「我が部隊もいくさに加えて欲しい。」と。
まぁ、夢なのかなんかわからないが、
取り敢えず戦力は必要なので、司令長官みたいな人が許可したそうだ。

で、どうなったかというと、
戦いました。たぬき部隊。

おとぎばなしかも知れないが。

露西亜側の戦記みたいなものに、
「なんか人とも、けものとも見分けがつかない白装束を着た部隊と戦った。」
という、記録が残っているらしい。

日本側の戦記では無いところが、非常に面白く、良い話だと思うんだ。

おいらはおとぎばなしも、昔話も、伝説も、日本書紀も、
嘘話では無い筈だと信じている。

嘘ではない。が、真実でもないかも知れない。

他人を悪意から騙そうと意図された創り話でない限り、
どんなインチキっぽい話でも、それは楽しいものだ。

なのに、なんだろう、宣伝という嘘に満ちた話は。
ストレスは、
本当は売りたくないものを他人に売りつけようとするから生まれるんじゃないかな。

ちょっとでも高く売ろうとか、損しちゃだめだとか。
あなた、自分が本当に欲しいものをつくっていますか?
或いはつくられたものをほんとに自分でも欲しくて売ってますか?

つくりながら、こんなもの欲しくないとか、こんなもの食べる気が知れないとか、
それを、騙しながら無理やり売ろうとしてませんか?

あれ、最初の話とまたしてもだいぶ逸れちまった。

何故何かが嫌いなのか。

結論は、自分が嫌いだから。
というと、ちょっとつっけんどんなので、
自分の中の嫌いな部分が嫌いだから。

それはやめとけって思うことが多い。種類も機会も。

考え方や感じ方、行動、発言、
自分内で完結できるはずなのにできないという根本的な嫌悪。

それらをあからさまに平気で顕してくる他人や周囲の出来事が嫌い。

つまり、自分が嫌い。

それとは別に、
根本的なバカも嫌い。勿論バカ基準も自分内のものだ。

ネガティブ思考。しかしだ。

これは自分内のことなので、
その嫌悪の仕方を誰かに強制しようとしない限り、
嫌悪する種類も機会も多い方が良い気がするのだ。

あらゆるこだわりを捨てよというのは、
他人や周囲へのこだわりのことで、
自分には徹底的にこだわったほうが良い気がしてならない。

そのようにして、
海底で、貝殻の中で唄うのだ。ブルースを。

======海底まきがい、ブルースを唄う。おしまい=======

DARKER THAN BLACK

これね、音楽がいい。
というか、アニメーション作品のほうに、現在の日本の音楽の才能は発揮されている。
菅野よう子さんという人らしい。
どうもTV地上波のドラマに嵌めてある音楽は、もうその嵌め方がくそで、
大河ドラマといえども嵌め方がね、どうもいかん。予算の問題だろう。
アマゾンプライムのおかげで、
アニメいっぱい観た。落語のやつも観てるけど、あれはほんとに声優さんの力も、すごいね。
最近を追いかける人には向かないけど、
アマゾンプライムは、かなりいけてる。サービスが映像以外のものとも連動してるしね。

日本のテレビ放送業界は、終焉するね。今の形では。

辻褄を合わせる。バシッと??

普段の生活で、
つじつまを合わせようとすると、何か怪しいとか、何か誤魔化したんじゃないかとか思われそうな気がする。

おいらはもはや殆ど全部つじつま合わせで生きようとしてるので、
全人格的な不審人物となろうとしているのかもな。。

計画とか、目標とか、子供の頃から全く苦手で(ちっちゃなころから悪ガキで♪15で。。。。)
成り行きで生きていこうといのはややネガティブな表現だから、
辻褄を合わせながら生きて行こうと思う。

星とか何かの現象とか人の言葉とかを観測しながら、「あれれ?、辻褄合わないじゃん。」とか思って、
例えばガリレオとか、ソクラテスアリストテレスパスカルごにょごにょとかアインシュタインとか、
まずは理論的な整合性を求めた結果、暫定的というよりはもう少し頑張った理論を完成させて、
その結果人類に大きなありがたさを産んだのだろうと思うんだな。

なのでだね、おいらはつじつま合わせで行くね。
どんな状況になろうが、そこにつじつま合わせるね。

誰かが何か言うかも知れないけど、それを踏まえてつじつま合わせなきゃやってられない。

悪い考えじゃないと思うんだけど、どうかな。やっぱネガティブかな。

またしても大聖堂。。。なのに志ん生。

[rakuten:bookoffonline:12746741:detail]
これは、いい本です。
色んな話が載ってますが、大体、泣ける。いい話だから。
特に最後の志ん生師匠の長女のね、話。一本前の圓生さん達の話と重なって、泣けた。

みんな、何か好きなことあるでしょ?ああ、これがあれば他に何もいらないって奴。
別に何でもいいけどさ、例えばごはんでも、虫でも、絵でも、車でも、宗教でも何でもいい。
好きでたまらなくて、ああもう、どうにでもしてって感じ。
そういったものが無い人は、おいらは何かそういったものを見つけることを薦めるよ。

それはさ、おいら、つまりこちら側から見た感じだね。
なかなか、向こう、つまり好きなもの側からの問いかけを追求する人は、少ない。
それはわかんないからね。対象が人であれ物であれ芸術であれ、
向こう側は向こう側の理屈で動いてんだから。
おいらの理屈なんて、屁みたいなもんだしね。

落語という神様がいるね。落語をやってる人が神様なのではなくて、落語自体が神様。
例えば、志ん生師匠みたいな人は、
落語という神様に憑りつかれた、聖人。
なので、本人にも何かわからないだろうし、おいらは師匠を崇めるしかないなぁ。

でもさ、好きなものに対してなら自分を投げ出すことが出来るし、
向こう側からやってくるものを追求するでしょ。
好きという自分からの行動を突き詰めざるを得ないし、
自分を投げ出した結果何が起きるのかを追求したい。
それを、はまってしまうと言うんじゃないかな^^。

大聖堂を練習というか追求しながら、
あ、これって「黄金餅」だなぁって、実感しちゃったんだ。

マクラがあって(第一楽章)、本題に入って(第二楽章)、だ〜〜〜っ(第三楽章)とね^^。

下谷の山崎町を出ましてあれから上野の山下に出て三枚橋から上野広小路に出まして、
 御成街道から五軒町へ出てそのころ堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、
 筋違(すじかい)御門から大通り出まして神田須田町へ出て新石町から鍋町、
 鍛冶町へ出まして今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして石町へ出て本町室町から日本橋を渡りまして、
 通(とおり)四丁目へ出まして中橋南伝馬町、
 あれから京橋を渡りましてまっつぐに、
 尾張町新橋を右に切れまして土橋から久保町へ出まして新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、
 愛宕下へ出まして天徳寺を抜けまして西ノ久保から神谷町、
 飯倉(いいくら)六丁目へ出て坂を上がって飯倉片町、
 そのころおかめ団子という団子屋の前をまっすぐに麻布の永坂を降りまして、
 十番へ出て大黒坂から一本松、
 麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。」

 みんな疲れたが、私(志ん生)もくたびれた。

だ〜〜っというリズムね。
自分で喋ってみるか、例えばギターなら弾いてみるか、やってみるしかない。
息をどこで吸うのか。
喋ってみなければわかんないでしょう。
同じだな。呼吸。たぶん世の中全部の呼吸。

好きなものは、ほんとに楽しい。

GUINNESS DRAUGHT

ビールの話。
俺、知らなかったんだよね、ギネス。てか、飲んでなかった。勿論名前は知ってたけど。
缶入りギネスなんだが、その缶にフローティング・ウィジェットというシステムが内蔵されておる。
素晴らしい。

缶をプシュッと開けると、シューーーと続けて缶内で何かが炸裂している。
あーらびっくり。
缶内の黒ビールがね、グラスに注ぐ時、なんかクリーミーな泡立ち状態で、出て来るのよ。
見た目350mm缶なのに内容量が330mmなのは、そのせいだろうな。

素人が注いでも、プロが注いだようになるシステムだと思う。

で、美味い。ちょっと高いけど、まぁ納得。
不思議なことに、
俺は黒ビールに普通のビールを足して飲むのも好きなので、
足すとね、また泡立つんだよね。まぁ、それはお試しあれ。

あの缶システムは、他の缶ビールにも採用して欲しいなぁ。
注いだ時の泡立ちは、ビール好きにはかなり重要な要素だから。

で、ネガティブ・キャンペーンになるかもしれないが、
青エビス。これはまじで美味い。
自分への自分しか認めて貰えない基準によるご褒美に、一本は許している。青エビス、パー・エブリデイ。

今日、エビス華みやびを買った。
シルキーエビスがまた置いてあるのかと勘違いしたと気づいたのは、飲んだ後である。
なんじゃこりゃ。
石鹸飲んだのかと思った。後味が、香水。高いのに、そりゃないぜ。
たぶん一瞬で棚から消えるだろう。たぶんだけど^^。
シルキーエビスは美味かったのに。。。。

缶を白にするなよ、エビス。それは騙してるぞ。前の白は美味かったんだから。
そういうことは、やめて欲しい。